そもそも個性に良し悪しは無い

この間クラブハウスの会話の中で気付いたこと。
ちょっとした違和感があったんだよなぁ。
⬆︎クラブハウスの鈴木さんとYOSHIHIKOさんの倶楽部サピオセクシャルのルームで、鈴木さんがナラティブアプローチを実践されるということで、初めてだったので興味深く耳を傾けていました。

その時、鈴木さん以外の方は初めましての方が来られたので、その方が5〜10分お話をされて、その後に皆さんそれぞれが、そのお方の印象について発言をしていく、というものでした。

最初のお二方は、短い時間と情報量なので、確かにそこまで詳しくは発言されていらっしゃらなくて、、それで私の番が来たので私が見るその方の性格とか癖のようなことをみなさんに聞いてもらったわけです。

第一印象は、アンチノミー的な方。わかりやすく言うと捻くれているんじゃないかと。その後も犬小屋の例を挙げてその方の印象をお伝えしたけれど、、確かにこの「捻くれている」っていうのは、世間一般で言うとことの「悪口」に取られることだと言うのは、私も十分分かっているわけですが... 

その人を語るにあたり、決して避けられない特徴的な個性をそこに感じたのと、その方がそんなコメントすら受け入れられるくらいの「強さ」を持ってあることも分かったので、あえて分かりやすくそうお伝えしたわけです。

ただきっと聞いてる周りは若干ヒヤッとするんでしょうかね?笑
だけど私が普段から「人を掘る(その方の個性を愛を持って深堀っている)」ことをする人だと知っている方々は、変に私を止めようとはしないし、むしろ「グッジョブ!」とすら言って下さいます(苦笑)

そして、ここからが私が興味を引いたところ。
私の後にその方の印象を話していかれた全ての方が、モノの見事にいわゆる「良い面」しか述べられなかったということ。

「良い面」というのは、
「褒める」要素が混じっているようなことです。内容は一切入ってきていないですがw なぜなら全くしっくり来なかったから。これなんか褒め合う現場なんだろうか?とそこで違和感を感じたわけです。

もちろん私も世間一般の礼節も理解していますし、それは日本がどうと言う問題でもなく、ここイギリスであっても人は人に遠慮をして生きているのが社会の成り立ちです。ただそんな画一的な社会では「個性」が磨かれていかない気がしてならない。



そのナラティブアプローチの最後に、私含め、その皆さんからのコメントを受けた方が、それに対してフィードバックをされる流れでした。その時に彼がおっしゃっていたことは、ほとんどが私がお伝えしたことでした。そしてよりその方の個性溢れる面がどんどん話の中に織り込まれていました。あぁ、20分前より明らかに個性が引き立っている、みたいな。

私にとって人の個性や性格に良いも悪いもない。良いか悪いかは受け止める側の勝手な都合でしかない。表面的に良いことしか言わない他の方が良くないという簡単な話ではなく、皆さんが優しいのだなぁと思ったことがまず一つ、そしてそういう私もまた、あぁこれが自分の個性なんだとも気付かされる出来事でした。

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