勉強用 - 自己分析 “Self-Analysis”Karen Horney

個人的解釈-

個々の人間がより自分自身に興味を持ち探求することを促進することが、自己の容認、それはすなわち他者への理解、社会への理解、と繋がることと信じているから。集団(社会)は個々の集まりに過ぎず、人は皆自分と同じ人間であって怖がるものでもないし、一見すると群をなしているようだけれど、あくまでも個々は個々に過ぎないこと。そしてその個々はそれぞれの性質を持ち、肉体の中には視覚で掴めない「心」があるということ。それが人であること。ユニークな自身の特徴を理解することは体癖論に通ずるものがあるだろう。それは決して善悪のような2択で語られることではない、あくまでもその人の「個性」ということであると思う。それぞれの人生においてその個性を知り、それを活かしきれたという認識のもとで人が自分の人生に満足出来るのではないか、と思う。ただしこの自己認知はあらゆる経験と共にアップデートの余地を残しているという意識は忘れたくない(何をもってして十分に理解していると言い切れようか?証明のしようがない範囲であると思う) それでも自分自身が理解をしているんだという満足が得られるかどうか(自身で納得、決定できること)が結局のところ最も重要な意識かと思う。

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序ー


Karen Horney (1885-1952)

 was one of the most influential psychoanalysts of the twentieth century. 

“Self-Analysis”

 was published in 1942 (80 yrs ago) 
“自己分析“として日本語訳されたのが1961年

神経症の症状が見られなくとも性格的に障害を持つ、と言うことが多かった。症状の有無より、性格的障害の有無であることが明らかにされた。
(脅迫的な優柔不断、友人恋人の選択にいつもしくじる、仕事ができない等)

精神分析の専門的援助が適用可能な人の全てに及びきらないために自己分析が重要視される。


Ⅰ 自己分析の可能性と有望性ー


〜自己分析は可能か〜


分析者: 困難な登山旅行の案内人の役をつとめるだけで十分、どの道を行けばよいか、逆に避ければよいかを教える、ただしこの山に関しては案内人自身も未経験である、ゆえに患者自身の精神活動や創造力を必要となる(分析者と患者の共同操作)

分析者との交流を絶った後に現れる患者の向上の様々な理由。患者の無意識下でも精神活動が行われている場合がある(潜在的な精神活動)

患者の「抵抗」でも「意欲」であっても心的エネルギーは活動を始めより深い洞察のための材料を提供するであろう。

無意識的精神活動をうまく利用することは可能か?
自己分析は可能か?






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