“聴くこと”は、愛の証として。


「聴くこと 〜ケア〜」についてクラブハウスで皆さんとちゃんと話したいなぁと思い、今回提案させて頂いた。


「聴くこと」

すなわち「愛すこと」



現代人は有効な自己アピール力(愛されること)を磨くのに忙しい。ただその意識は本当に私たちの本質に根付いているものだろうか?言い換えると、今この時代の流れに影響を受けて生きる私たちは、人間のプリミティブな欲求が満たされる生き方をしているのかどうか、を問いたい。


特に我々日本人にとっては、コロナという非日常の出来事の副産物として、メディアや社会全体が作り出した目に見えない不安と抑圧の中にいるように見える。そんな環境の影響を受けたであろう小中高生の2020年の自殺者数の増加。

子供たちの苦しみを考えると胸が張り裂ける。あんなに小さく未経験の子供たちが、この世に産まれてきて僅かな時間で逃げ出したいほどの苦しみに立ち向かわなければいけないことは本当にフェアじゃないな、と思う。

生い立ちや環境はすぐには変わらないけど、起こっている現実の捉え方はほんの少しでも変えることはできる。そんな視点すら教えてもらうチャンスがないままに、暗い孤独と戦わなければいけない小さな命が、、愛おしくてならない。

そんな社会や環境を作っている私たち大人が出来ることが、地味ながらも個々の意識の再燃ではないかと思う。

私たちは外的な影響を受けずして生きられない生存欲求の塊であり、特に危機管理能力の高い日本人ではあるものの、人というのは不安ばかりで生きられる生き物でもない。必ずその裏側に「HOPE」も持っている。「聴いてもらいたい」想いは、まさに「生きたい」という命の根源的な力ではないだろうか。





気づくか気づかないかはそれぞれ、
だけど人は愛でできている。
いつも誰かの声を聴きたいし、自分や他の誰かを知りたいと思っている。

「愛されたい」という闇雲な欲求の渦の中にも、「愛したい」という知恵と経験からこそ生まれる意識を持つことが、私たちが大人である証かもしれない。




エーリヒ•フロム 「愛するということ」

A5 EIGO LESSON

楽しければもっと学びたくなる

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