Van Gogh、ニューロダイバーシティ
Van Gogh、ニューロダイバーシティ
週末に触れたこの二つ。
特に絵画に興味があるタイプでもなかったけど、たまたまエキシビジョンが始まるのを知ったので、ふと行ってみようと思ったのと、
ニューロダイバーシティのゼミは、
発達障害支援のサポーターの勉強では講義を聴かせてもらっていた臨床心理士/公認心理師の村中さんがリードされているということで、彼の持つ専門性の高さはもとより、「熱」に惹かれているところがあって。
‘人間という生き物に没入している人’自体に興味関心を持つタイプといいますか、、リスペクトをもって、ちょっとおかしなくらいに没ってる人って、やっぱり面白いと思うわけです。
(いつの時代も、こういう専門家がいて初めて世の中の未知が解き明かされて文明は進化していくので、大袈裟でなく、人類の宝だなぁと心から思う)
Van Goghの言葉は印象的、
“I dream of painting and then I paint my dream”
発達障害の疑いや、専門家が診断して精神疾患の疑いやら、自傷や自死やら色々あるんだろうけど、、
確かにインパクトのある彼の生き方に反して、色鮮やかな残された絵画の、影と光、みたいな。太陽を向いて咲くひまわりのような、、絶望の中に希望を抱いた、、とか??
ニューロダイバーシティ、
私たちの脳や神経の在り方や多様性にどう向き合うか、、、
村中さんが講義の中で最後に、
「ニューロダイバーシティは沼です」とおっしゃってた。入れば入るほど、沼っていくと、、
確かに人生や人間そのものだったり、哲学のようですね
人は人がなんたるかを知ろうとするけれど、
新しいことが分かればわかるほどに新しい次の疑問が湧き上がって終わりがない
私がVan Gogh に対して感じたのは、
いろんな人が彼に関していろんな見解を持つけれど、なんかそんなことどうでもいいような気もする。
何をしても残しても、結局それが彼であって、人の意見は、あくまでもその人から見た彼であって既に彼ではないように思うから。
どんなに情報を集めて分析をして傾向や仮説が立ったとしても、確かにそれはそうかもしれない、ある専門的な定義に基づく見方によっては。
だけど、それに意味があるのかというと、、
そういうことじゃないんじゃないかと感じる。
ペイントの夢を見て、それをそのまま描いた、
そういう人間は、きっと彼以外にもたくさんいる
だってそうだからそうなんだ、
って、それでいいんじゃないかと思う。
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