使い古された無償の愛

Green Parkで一休む。

この近くに在英日本大使館がある。今回パスポート申請に4回も来ることになって…

一度目は日本が休日だった。
二度目は予約が必要だった(そのシステム前はなかったよ?)
三度目はパスポートの期限が切れている場合は戸籍謄本が必要、、

ふぅ。


今日は「無償の愛」について少し。

聞き慣れた言葉だけど、ホントにコレを体感して生きている人が人口のうちナンパーだろう?と考える。

他にも「無条件に愛す」とか、
「親から子への愛が無償の愛だ」とか、
軽々しく使われるけど、全然違うと思う。

親が子に向ける愛は条件がつくことも多々あるし、綺麗事ばっかり!とそんなこと言ってる親がいたら正直ため息が出る。

「無条件に愛す」って、、いう、ほんとの意味を体感してみたいと真面目に思った。

だけどそれは自己犠牲がない状態でのこと。

自分を犠牲にした愛情のかけ方は、生きてればよくある。知らずのうちに起こるというか、、。

そういう根性論とかは古くて面白くないのと本質と真逆な気がする。私はそんな簡単なことをしたいんじゃない!

自己内の調和が大変鍵になるだろうし、
日々の自己メンテナンスこそ実は要かもしれないとか、実は相手以前に自分の中でまず調整することがほとんどかも知れないとか、

これかな??
手応えのもっと手前のウズウズする感じはあるけど、ここからどこまでこの思想を現実に落とし込めるか、、、

またここからも紆余曲折でしょうか…

その境地に辿り着きたい,,, ブッダ氏も同じ気持ちだったか?

ps ブッダが真の悟りに辿り着いたっていう証拠ってのはあるのですか?人は人の内心までは見れないでしょ。私は人は人の範囲であるから人であると思うけど、、じゃないと人じゃなくない??この人は悟ってるやん!って、他者判断では分からないよ?自己申請だったら、、思い込みもあるでしょう?

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