恐怖と好奇心の狭間で「本質のドア」をノックする
私は、緩さや全力でふざけることは大事にするけれど、「本質」に関しては、良くも悪くも妥協を許さないタチで…
これはもう性分としか言いようがない。
本質から目を背けているんじゃないか?と気付くと、例えそれが、その時の自分の本望ではなかったとしても、やはりドアを叩いてみる。
どんなに辛かろうと、
気付いた限りは、
ノックするしか選択肢はない。
「あなたの本当の望みは何ですか?」
この問いはとても深くて、
顕在意識ですぐに感知できるものではない。
望みと興味は違うのか?
好奇心は真の望みなのか?
それに気付けるように、
人生のあらゆるフェーズで、
様々なことが降りかかったりするんだろう。
気付くチャンスが何度もおとずれる。
目の前に起きた現実にばかり気を取られれば、
精神は疲弊するだろうし、
現実的な動きを疎かにして想いばかりを巡らせていても前に進まない。
内と外の絶妙なバランスを取りながら(内省をしながら具現化させる)、
自分の本質にゆっくりと近づいてみようとする。
結果的に心が満足し穏やかである状態が、
答えなんだろうと思う。
紆余曲折したし、
こんなに時間がかかったけど、
それでも自分に誠実に向き合った清々しさは、
確実に自分の胸に届く。
時に動くことは恐怖を伴う。
道なき道に進むことは誰だって怖い。
だけど、もしそれが深いところにある自分の望みなら、、動いてやってみるのもいいんじゃないかとも思う。
それでも動かない(動けない)なら、
That’s your choice.
(今じゃないかもしれないしね)
もちろん動く時は、
できるだけ賢くあろう。
感情と反動で飛び出すのではなく、
しなやかに、ゆっくりでも、確実に、
例え周囲に嘘をついていたって、
自分には嘘なく向き合うことを、
私は優先する。
(多くの人は人に嘘つくことと、自分への嘘の優先順位を履き違える)
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