ヒトは物語で感動し、自らが物語に閉じ込められる話

イギリスでは完全に紙の紙幣が使用できなくなってしまいました。ちなみにこれは私のヘソクリ分です。

日々色んな学びを拾い食いしていると、ふと気付くことがある。今回は、人の思考について。

よく耳にする
「人は何のために生きているのか?」
「〜が生き甲斐だ」
「運命的に出会った」
「こうなる運命だったんだ」
みたいなこと

人は、自分の過去の軌跡を辿ると感慨深くなったりするのは、そこに物語を見るからだろう。

むしろ物語として見ないことには、感動が生まれない。他の動物には事実はあっても物語はない。そうじゃないという考え方もあるかも知れないけど、結局のところ人が思いたいように思うだけであって、動物と意思疎通を取ることはできない。

ただし同時に人はそんな物語に縛られる。

何かの意味があるはずだとか、
自分は〜タイプだとか、〜型だとかで、
自分や自分以外をカテゴライズして
物語を作って気持ちよくなり、安心して、溜飲が下がるのではないかと思う。
そうじゃないと、ひたすらに自分が何なのかを探し続けていることをやっている(のもまたその人の物語となっている)

人ってのは、そうやってないと機能しないというか、そうしている方が機能していく、よりよく生きれる、ようだ。

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