何を信じるかの選択肢があること

⬆︎娘がプログラミングが得意なので(彼女自身、今までも色んなレッスンを受けてきて、今はMicrobitを習っています)、そこに英語を取り入れたセッションやってみる?と提案しました。

この英語レッスンを始めたキッカケとなったのは、いつも日本帰国時に一時保育をお願いしていた佐賀市のおへそ保育園が、定員いっぱいで入れないということで、、。

それならこの長い夏休みをどう有効に使おうか?と考えて、それまでも少しその保育園で英語の絵本を読み聞かせしたりをやっていたので、

じゃあ、子供達と英語で日本を旅するか!という発想に至りました。そこからレッスンと講師の資格勉強を並行して継続。

「教える」ことにもすごく興味を持っている娘なので、10代に入ったらもっと彼女主体でレッスンを進めさせるのもいいなぁと考えていました。



そんなことで、今に至ります。

⬆︎動画が貼れないので静止画で。

参加者様全員の予定を組み取り、急遽日程が翌日!ということになりまして、、ʕʘ‿ʘʔ

大人はみんなばたつきましたね(苦笑)

まあ、そんなこともあります。

だけど子供たちが嬉しそうだったのでね。

プログラミング✖︎英語、なかなか面白いと思います。

中にはタブレットがないおうちで、スマホでスクラッチジュニア をやるという、、まあ大変なことにチャレンジしていた生徒もおりましたが(笑)

早速次回のリクエストを頂きましたが、土曜とかでみんな予定が合うのかなぁ?

ここからは本題へ、、

子供のうちや、若いうちは、

ほんと外の影響で「心がかき乱される」ってことがあります。

これをゆっくりと大人になりながら私たちは「自分らしさを確固たるものにする」わけですが、

その過程において、より分かりやすく説明してあげる機会が子供たちには必要だと思っています。

肉体だけでなく、「精神」も鍛錬により磨かれ強くなります。

それは「思考の基礎」を学ぶことのように感じます。


素直であればあるほど、

外で見て聞いたことをありのまま受け止めてしまい、消化ができないモヤモヤした状態になる。

自分がいて、その周りにある人の生き方、言動、特にネガティブなエネルギーを放つ人や話には、人はとても敏感に反応をします。

それはきっと生き抜く上での「危機管理能力」として備わっているのでより注目をするであろうし、

もしくは、普段なかなか耳にしないようなネガティブさがある意味新鮮で刺激的であるということです。

「人はそもそもストレスフリーでなんて生きていけない生き物」なので、

(実際、人が完全快適空間で生活をするという実験をしたところ、ストレス(刺激)を求める生き物であるというのが判明しました)

多少なりの刺激は幸せに生きる上でも大事なこと。

とは言え、その刺激が強すぎる場合、グッとその負のエネルギーに吸い込まれたり、自分自身までも持っていかれてしまうことは大人の社会でもよくある話です。

特に正義感が強い人は、自分が信じる生き方と相まった傍若無人な人に対して大いに反応をします。

同じ人として、この人の生き方はありえない。という、「自分の中で処理できない範囲」の中で、いっぱいハテナマークだったり、許せない怒りだったりを作り出し、

どんどんその「自分が嫌いな人を、引き寄せて、抱きしめて、固執し始める」。

それは、「自分の考えが全て正しいと思う傲り」かもしれないし、「思考の多様化」に対しての理解が低いことかもしれないし。

特に日本という国には、あまり多くの国籍の方が生活をしていなかったりする。今でこそ増えては来ているものの、まだまだ少なく、異国の考え方や振る舞いに対しての免疫が低いとも言えます。

だからこそ、まずは「自分」から見つめていくことが大切。外にばかり向けてる意識をもっと自分に向けて、自分らしさを感じられたときに初めて、

何を信じるかには、

自分の選択肢があるということ


に初めて目を向けられるはず。

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