「目標成就=幸せ」ではない

我々人間は、時に、「本来到達したい場所」を勘違いする。

物理的な可能性が多くなったことは、我々人類の生活を豊かにし、

ビジブルで明確な目標を定めたりできるほどに、選択肢が増えた。

ただそれは人を迷わせる。

「努力をすれば手に入るもの」が多い環境の中にいると、

「手に入れること」ばかりに注力が向く。

◯◯できるようになったら、
どこそこの学校に入ったら、
◯◯になれたら、
学校に行けるようになったら、
あの人と付き合えたら、
どこそこに就職できたら、
◯◯が買えたら、
◯◯に住めたら、
◯◯な人と結婚できたら、
◯◯円稼げたら、

「幸せになる(はず)」

とターゲットを定めて、そのためにひたすら試行錯誤してみたり、一心不乱に取り組んでみたり、そこへ向けて情熱を燃やし、その過程で一喜一憂する。

そして実は、その目標成就自体には人を長期的に幸せする効力がないということに、人は気づいていなかったりする。

もちろん手に入れば、ある程度の達成感や満足、そして自信に繋がることも大いにある。ただそれは「長期的に人を幸せにする」ものではなかったりする。

目標を達成すると、人はまた次の目標を探し出すし、悩みが解消された人はまた別の悩みを探し出すもので、

それは、人が何かを追いかけて励むこと自体に、落胆と歓喜という抑揚を生活に感じられ、それは人への「刺激」となる。

要は、この切磋琢磨して刺激を感じながら、最終的に目に見えて手に入れるような事柄の先には、「本来の幸せ」は存在しない。

全く違う種類のループのようなものである。

「刺激ループ」

と、

「幸せループ」

は、混じり合わないで、

離れた場所でそれぞれが存在している。


なので、「結婚して幸せになります!」という言葉は、この全く違う2種のループを理想論で繋げているだけで、

どんなに「刺激ループ」をぐるぐるしても「幸せ」には到達しない。

だって幸せって「手に入れるもの」じゃないはず、、ね。

幸せは「感じるもの」なので、

努力して「獲った!」というものではない。



刺激ループはフィジカル的で、
幸せループはメンタル的。

どっちもあって人生楽しかろう。。




幸せの感じ方は、内側を見るしかないので、

刺激ループ上で必死こいて幸せ感を探しても、

出てこん、言う話で。


Honey xx 

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