「評価」と「自信」の反比例
最近G7サミットで日本の首相も訪れた、コーンウォールの海と空。
自然の作り出す色や香りの個性って半端ないな。
この色にしようとか決めて作ってない、からね。
そこに意思はない。
誰のことも気にしてない。
空気とか温度とかの重なりの現象が見えるだけ。
それを科学的に解説とかしたところで、
人間の戯言のように聞こえてしまう気がするー。
そんな夕日の写真を語った後で、
ふと考える「評価」と「自信」の反比例について。
なんちゃ言うてますわ、世間では。
子供の自己肯定感をあげる教育だの、
社会人にはもっと自分に自信を持て〜だのと。
自己肯定感を持つために〜する、
自信を持つために〜する、、、
私たちのこんな考え方自体が余計に可能性をこじらせてないのか問題。
だって動機が不純。
例えば、
「人にありがとうっていって貰いたいから人に優しくする」
そんなことやったことも無いけど(ん?あるんかなぁ?)それに似てる。
例えば、
「感謝!」と毎日3回唱える。
全然しっくりこない、こういうの。
冗談かよ?!
確かに言霊とかはあると思う。
口にしてる間にそうなってくるという、ほぼほぼ自己洗脳だけど、実際に効果もあるでしょう、病は気から戦法、サプリメントの効果が効能を知っていると知らないとでは実際の結果が20-30%違ったんだっけな。
でも、やっぱ動機が不純。
感謝したいのか?
いや、もはや感謝したくないのか?とも取れる。
更には、そんなに唱えないとしないってことは普段は全く感謝してないってバレバレやん、とも言える。
「自信」と「評価」の反比例、というテーマにまで辿り着くかつかないかのあたりで、一旦終わるとする。
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