「弱さ」と共に
北海道に「べてるの家」という精神障害をもつ方々の活動拠点があると、この間(stand.fmのラジオを一緒にやらせて頂いた精神保健福祉士の)鈴木さんから教わった。
鈴木さん同様に私も予々「人の弱さ」ということにはとても意識的で、高一の時にノートに書いていたことが、、
人はそもそもが弱い、
強くはなれないけど、
強くなろうとすることには価値がある。
みたいなことを違う言葉で綴ってたと思う。
その時の自分なりの諦めと同時に、前向きな意思表示だったんだろうなぁ。
自分の弱さをよく分かっていたから、
前向きになれないことを受け入れようとしていたかもしれないし、それでもトライすることで見出せる自分も分かっていたし、頑張ることも嫌いじゃなかったんだなぁ。
あと同じ時期に、こういうことも書いていた。
大事な人が辛いときに、
もし自分がそれに気付ける余裕がないとその人を救えない。
その為にはまずは自分を満たす必要がある。
ハッピーでいればその人の痛みに気付くことができるから、自分をまず喜ばせておこう、
みたいな。
なんかこういう感覚は、
高一の頃と何も変わってないんだなぁと気付く。
私なりの見解や意見を聞きたいと、定期的に連絡をくれる友人や発達障害当事者の親御さんがいてくれている。その時その時に抱える想いや悩みは移り変わり様々。ひとしきり話した後に、何かしらの気付きを得たような声が聞けるときはやはり嬉しい。具体的に問題が解決したわけではない、問題に対する意識や視点が少しばかり変化しただけなのだけど、それこそ人に必要な“HOPE“だろうと思う。
生き辛さを抱えている知人のTwitterの投稿を見る度に、何かできないかなと遠くからでも心は動く。同時に自分がもっと学ぶべきことがあるなぁと感じる。
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