お金は「繋ぐ道具」として
極寒のもと暇を潰しながら。
寒い時にいつも思い出す登山家の栗城さん。
今頃お母さんと一緒にいるのかなぁ。
今回のクラウドファンディングをやってみて感じること。恐らく一番の私にとってのプロフィットとなるのがこういう学びだろうと思う。
あぁそうか、お金はあくまでも人を繋いだり、動機にコネクトしている道具のようなもので、ゲームや地下鉄に乗るためのトークンのような感覚。
結局たくさんの人に連絡してお願いをして支援をもらい、そこで頂いたお金から、私が手数料をまかない、生徒本人に送金(➕送金料)、支援をしてくれた人へお礼に書かれた書籍を買ってみたり、いちごを買ってみたり、イギリスから贈り物をするコストがさらにプラス。どう考えてもトータルマイナスにしかならないわけでw
ただもちろんのこと私は最初から自分のプロフィットを出すためにこの企画をやってはない。例えばそのままポケットマネーから一万円を生徒に渡すことも可能。ただそれではストーリー性に欠けるし、なんせそこにあまり人が関与しない(諭吉以外?)。その一万円の価値はあるように見えて、逆に一万円の価値すら、私の価値すら、彼の価値観すら下げる可能性を秘めている。ここはすごく気をつけないといけないところだと思う。
私はいつも関わる誰かを感化させたい欲がある。
その人のその人らしさを浮き立たせたり、自分らしさに気付いて嬉しくなったり。私自身も絶賛荒削りながら、この好奇心を誰かのために有効に使えるなら、そんな最上級の人生の暇潰しはないだろうと思う。
私か私以外か/私以外私じゃないの
それはそう
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