恐怖と好奇心は、 どっちが勝つんだろうか?

短い期間でクラウドファンディングをやり終えて、大きな額ではなくとも得るものが大変大きかったことは事実として。

そのうちの一つとして、
その中学生男子のお母様からの言葉。

”ハニーや息子の行動力でホントに色んな世界を経験出来てると思います。

夢を見たことなかった私が2人を通して夢を現実に変えていくっていう。映画を見てるような。なんとも不思議な感覚です。

親が自分の夢を子供に託すってこんな感覚なのかなぁとか、、。“



現に不登校でゲーム活動をしてオンラインでの人との繋がりを広げている彼。有名なゲームの世界ですが、上に行くとビジネスが大きく絡んでいます。大人との付き合いを通して彼が学んでいることは間違いなく同学年の子たちが知り得ない経験であろうと感じる。(かと言って学校に行かないことを肯定したりもしていなくて、その子その子でいたい場所や学べる場所は違っていいと思っている)

まだまだ時代は過渡期なので(特に日本)、
新しい価値観や文化を受け入れきれないリアクションがあることも理解するし、いつの時代も皆が同じ方向を向くなんてことは有り得ないで、あるべきでないとも思う。

だけど明らかに人の心は意識的に何かに気付いていたり、本来、人とは心がある生き物だと痛感する出来事にぶち当たった「幸運な人」もきっと多い、、今。

夢見心地でいることが、地に足のついていない人間の無責任さかと言うと、そうとも言えない。それは明らかに今までになかった未来を創り出す第一歩(それはいわゆるSF思考というやつでしょうか)だと、認めざるを得ないのは、「体感してしまう」からじゃないかな。

私たちの「主観」は、
どこまでいっても「客観」を持てない。
(客観視をしようとする意識は主観なので、客観的意識は絶対に持てないという論理)

それは事実としても、
フッサールの言う「感じることの事実」は、
他の誰のものでもなく、
自分のものであることを、
どれだけの人が感じ得ることができ、
行動していけるのだろうね。

過去を置いていく恐怖(経験した道のまま想定内のつまらなさのような安定のような意識と共に歩み続けること)と、
未来へ向ける好奇心(過去のような実績はないけれど確実に心が惹かれる方向に思いのまま進むこと)は、
どっちが勝つんだろうか?


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