ちゃんと感動できる大人でいる?

今年も残すところあと数日。
すっかりお休みモードですが、朝からグッとくるメッセージを受け取ったので、私はそれを人に伝える役割を喜んで引き受けようと思っています。

想いや言葉は、この世の中の僅か1人にすら届けることは簡単じゃないと思うけど、何かのタイミングが重なって通じ合えることもあるかも知れないという「小さくても未来に続く可能性」を、私は諦めていません。



昨日の記事に続き、
不登校中学生男子のお母様からのメッセージ。

“現実、生活は出きるけど余裕はない中で、あきらめて進んでたところがあったけど、息子を応援してくれる人たちがホントに沢山いるなぁと思います。

ハニーだったり、オンラインの人たちが、

支援してくれる道を探してくれて、行動してくれて、本当に周りに助けてもらえる子だなぁとびっくりです。”


この方も、こういうことを感じられて言語化できるお母さんなんだよねぇ。「ちゃんと感動できる大人」っていうか。。

社会は実は優しかったってことに気付くことが、人生通して何回かあるわけで、、

私も幼少期は、父親暴力、借金数千万、母子別離生活、シングルマザーの家庭の不登校、イジメ、訳の分からない幻覚のような体験、小学生から「生」の意味が分からなくて模索してたのは、絵に描いたような悲劇に一見見えるけれど、そんな中でもうちら親子を助けてくれた人はいっぱいいたんだよねぇ。

子供って小さくてもそれをちゃんと覚えていたりするからね。だからこの中学生男子も根がピュアで、ちゃんと人に感動できるハートを持ってるし、このお母様の純粋さは間違いなく彼の人格形成に大きく影響を与えているなぁとよく感じます。


両親がいて家庭があるからってそれだけでは幸せとは言えないし、おかしな親ならいない方がずっと子供にとっては楽で(ほんとにそれは実感していました!)

一見理不尽とも思えるような生い立ちは、いつか自分のキャラ立ちの加勢をしてくれるのでね(人は自分の悲観にも飽きが来るわけです...)


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