愛の証拠はどこにあるのかっていう話


時に人は他者からもらう「褒め言葉」に対して、
とても反抗的だったりする。それは個人差も大きく関係していて、「褒め慣れている人=そういう経験をしてきた人」にとってはさほど難しいことでもないかもしれないけれど、

「ほんとはもっと認められたい!=現実とは裏腹に認められなかったと自分自身が感じ取ってしまった経験をしてきた人」にとっては、容易なことではないかもしれない。

単純に何度も褒められたなら、
「褒められ慣れる」ことができて、他者の褒め言葉をそのまま自己肯定や自信に即座に変えていけたりもするのだろうか?

大好きなお母さんから褒められたかった経験は(実際には褒められてたかもしれないけど物足りなかったという経験もある)、

いつからかお母さんの残像を自己の内側に投影したまま保持し続けていて、あとは自分と自分の向き合わせになるわけだけど、、自分のことはみんな可愛いんだもん、認めてあげたいに決まってる。じゃあ自己に母の影を浮かべたとしても、自分の想いが勝るかというと、、案外母の影は濃くてズッシリしてるようにも思う。

「褒められているのには裏があるんじゃないか?」
「愛されているようだけど、自分の勘違いなんじゃないか?いや、相手が勘違いしているんじゃないか?」とか、笑
憶測は更なる憶測を生んで、最後は証拠のない答えに責任が持てないから、一旦無かったことにするw

認められなかったと感じた経験からくる認知は、
歳を重ねる毎に肥大していって、
もう自分だけでは到底手に負えなくなって、
少しでも褒められたりするなら、全力で打ち消してやろうと、他者の評価基準なんかで自分がジャッジされたくなんてない!という別の自己すら生まれてくるかもしれない。

「あなたに僕の何が分かると言うのですか?」




それでもね、、
転機って起こるから人生面白いなぁと思うんだよねぇ。ニヤリ♡

2コメント

  • 1000 / 1000

  • Hanae

    2022.01.01 10:27

    @Yoshihiko TanigakiYoshihikoさん、 コメントありがとうございます。 笑!! 頑な君研究は大変面白いです。 「インナー•トラヴェルズ」気になります!
  • Yoshihiko Tanigaki

    2022.01.01 06:12

    痛いw いや、正確に言うと、「染みる」かな。 年を経て痛みはどこか遠い感覚になりました。 今はもらった評価が自身の中に染みていくのを「ふむふむ」と受け入れられるようです。 人って面白い。 多くの人に出会ってきたけど、自分の中にもまだまだ未知の「人」がいるんですよね。 ジュラシック・パークで有名なマイケル・クライトンに「インナー・トラヴェルズ」という書籍があります。 まさに今、そんな感じ。 今年もよろしくお願いします。