日本のイヤイヤ期
人は常として、不変を求む
ニーチェの哲学は悩める日本の現代人にどう映るのだろうか?人倫への依存から抜け出さない限りは、ニヒリズムを超えられないのだろうか?人はいつどんなことをきっかけに、本質的に満たされる為には自分自身にこそフォーカスすべきだと気付き、実行(倫理観からの離脱)することができるのか?それは常に苦しみから逃れることが原動力になるのだろうか??
人が本当に動くしかないと、
いい意味で諦める時ときは、、
ポジティブな要因か?
それともネガティブな要因か?
ポジティブな理由である時は、大いに他者が関わっているかもしれない。憧れやHOPE。ただし、その影響を受けられるほどの(成長したいと思える)素養は必要になる。
ネガティブな理由の時は、より自己に気持ちが向いていることもあるかもしれない。毒付くことも時間が過ぎれば嫌気に変わるかもしれないのは、「人の命」「生命」というのは、基本的には上へ上へ伸びようという欲求が組み込まれているし、生きようとすることは死なないことなので、どうしてもパワーが漲る方向へ働く他なくなる。(罪を犯せば人は懺悔したくなるのと同じように)
イヤイヤ期は子供に限った話じゃない、人生で何度も来る。ある程度大人になってしまうと、イヤイヤに付き合って見守ってくれる親もいない。だからとことんまで自分の反抗期に自分で付き合う必要がある(時に社会で出会った人を巻き込むこともある)
嫌なのもケチつけたいのも全部分かったよ、
じゃあもうここからは自分にとって喜びに溢れる方へ努力をしてみようか!という段階が次に来るのかもしれないね。
日本はイヤイヤ期の全盛期だなw
しばらくはちゃんとイヤイヤしないとね
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