勉強用 - 自己分析の成否
自己分析の成否は分析の意欲如何にある?
人は自分を知り得るか?という古代からの問い
精神医学的性格研究のような“やさしい自己分析”の類は自己分析の複雑性に触れていない(幻想?)
人は真正面から問題に取り組めるようになるまでに、よくごまかしをするものであることを分析者が経験を通し知っていること。
患者は自分の幼児期の願望、恐怖、定着等を、分析者との繋がりを通して再体験する時、初めて自己の悩みから解放され得る?➡︎理論上の洞察だけでは効果は上がらない➡︎患者には自己分析の過程に点在する諸障害を独力で克服していく力がある、ということへの不信
その理由:
目標達成を目指す患者の意欲が要素となるから(患者が望む以上の分析も不可能とも言える)
フロイドの言う分析への副次的意欲:
分析者に対する患者の愛情(性的な満足ということではなく援助を活用するという満悦)
神経症者 ー愛する能力がひどく弱い(過度に愛情と承認を求めているから。分析者を喜ばせるために向上進歩を示したりする、対人恐怖からくるもの。自立自存で人生に向かうのは心細い
分析者は、患者の愛されたいから分析を続けるという動機を減退させるべき
自分の意思を蔑ろにして人の期待に応えようとすること自体が原因であること(分析されるべきではあっても利用されるべきではない)
フロイドが神経症状の除去に専ら興味があったがゆえに、患者自身に仕事や娯楽ができる能力がそもそもあったかなどにははっきりとは言及されていない。彼は「意欲」の存在に否定的。「自己成長の意欲は自己愛的願望に発している」「自己愛的願望には“自己拡大”と“他者への優越”がある」
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