価値は自分で見出すものであって、何処かから与えられることはない

人は自分の鼻の先くらいしか自分の顔は見えない。
人は人と交わることでしか自分を映し出し、見ることができない。

他者との体験を通し、何かを掴もうとするか、ただ相手の反応を傍観したり、出会いを消費して終わりにするかの選択肢は、自分にちゃんとある。

自分がどう映るのか?
興味のない人はいない。
興味がないふりをしたり、見たくなかったり、はたまた見て見てとアテンションを引くようなことをしてみたり、言葉を呟いたり。

日々、こんな自分でいいのかどうかを確認するようにして人は人と交じり合うのかもしれない。

相手を知りたいのは、
自分を知って欲しいということかもしれない。

相手を見ないことは自分を見ないことかもしれないし、自分を見ないことは相手を見ないことかもしれない。

私は変化に貪欲でありたい。
どんなに辛くとも、どうせ一回しかない生なら、正々堂々と向き合って、知らない自分や相手を見てみたいと思う。

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