「聴き役」は常に相手を観察している

約20年間意識的に続けている、
人の悩みごとを聴いて一緒に考えること。

その時に必ず忘れては行けないと思うことは、

共有できる思考処理のパターンはあったとしても、個々の性格によって取り入れ方を変える。


数学のフォーミュラでは人は納得をしない。そんな型にはまってたまるかと思うのが個性であり、人間そのものだろう。

だからこそ必ず問題とその問題への取り組み方、それは言い換えると、その人なりの生き方。


その生き方というのは、その人の性格、特性などに基づくので、人によって全く違ってくる。



学習や習慣も似ている。
自分のタイプを知らずして効率よく目標に(その目標額習慣化するや、メインテインであっても)辿り着くのは、機械の使い方をわからないのに闇雲に操作しようとしていることに似ている。

人によっては、操作方法を調べないで、一旦好きなだけやりたい放題やってみてから、必要なら取り扱い説明書を読む方が向いている人もいるし、隅々までそれを読みんでからじゃないと機械に触ることも嫌がる人もいる。

だから、私が英語講師やメンターとして取り組む時には、その子その子のレッスン内容が変わってくるので、毎回時間をかけてレッスン内容を組む必要がある、という理屈に繋がる。時間はかかるけれど、画一的な内容を提供するなら、他にもいくらでも素晴らしい英語講師や先生がいる!

こうして長い時間をかけて大人や子供たちと向き合いながら、今もなお観察、仮説、実行、学び、修正、などを繰り返して、頭の中に多くのその人たちの個人データを蓄えていて、その20年間のビッグデータはいい感じに交差しながら違う人に使われることも大いにあるから、面白いな、と思う。

簡単に言えば「ヒューマンのデータ収集」かもしれないけれど(笑)、

全くもって飽きないのねん。

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