魂に付き合いきれない

この世に生を持って誕生した本当の意味を知る人はいないけれど、

そもそも意味があるのかすら謎だけど、

それなら、泣こうが喚こうが、
どうせ肉体と思考が暫く続くのなら、
筋トレするのと同じように、
自己の魂に切磋琢磨して向き合うのも悪くない、と思う。


こないだ聞いたニーチェの言葉がとてもすんなり入った。中二病的とも言われそうな彼の主張は案外しっくりくる。

孤独に生きていても情報は入るが、
実践もなければ、「経験は起きない」

仕入れた情報や、人のエピソードから察することだけでは、「心臓に突き刺さらない」

人は人を介して初めて、
落ち込み、心傷する。

他責にしているうちはまだ余裕がある。
そんなものは経験のうちに入らない。

精神が鍛えられる経験とは時に酷く痛く、
そうそう抜けない槍のようで、
抜けそうかと思った途端にまた奥に入り込むよう。

あぁ、どこまでも戦うつもりだな、と、
この性格(ソウル)に付き合いきれないときもある。

どんなに寄り添ってくれる人たちがいても、
闘いに挑むのは自分自身だから
むしろ、そんな「勝てるかもしれない場面」なら、なおのこと、一人で行きたい、と思う。(勝算があると言う余裕も、本当は、ないのだが、見えた以上は、行くしかない)

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