英語を読むことの大切さ
テンションが高いのは親だけじゃないか?という疑問な写真ですが。。。
それはさておき、
本日のレッスンもありがとうございました!
初回は日本語も交えて、所々を英語でお子さんとお話をしながら、お互いに知っていくことで緊張がほぐれ、少しずつ安心して英語を発することに抵抗が無くなります。
一回のレッスンは短く設定しているので(もっとやりたいかも!を狙っている?)あっという間にサヨナラの時間になってしまいますが、僅かな時間ながらもしっかりとコミュニケーションが取れることが大切だなと感じます。
子供の脳と心というのは常にオープンであるのでしょう。余計な詮索もなければ不安もないので、ありのままのそのまんまで向き合ってくれます。小学生ってほんと人間の一生でもすごく大切な時期だなぁと感じます。
今回の「英語を読む」というテーマに意識を寄せていくと、、
最近の日本は「英会話」「英語でコミュニケーション」「英語が話せるようになる」のような英語を話すことがよりフォーカスされるようになってきました。これまでの偏重学習の反動とも、アメリカの影響から来るアクティブラーニングを意識したものとも言えるかもしれません。
確かにどんな語学でも話せることができるなら、それは大変素晴らしいスキルであるし、海外の大学を考慮するなら必要不可欠な要素となります(残念ながらコロナの影響で海外での9月入学を見合わせることになった学生の方もいらっしゃるかもしれませんが。。)シンプルに母国語以外の言葉が通じることの喜びという感情も、それはそれはかけがえのないものです。
一方、長く海外で暮らす私自身が感じることは、、
「読める力の大切さ」
です。
私は20代後半でロンドンのカレッジでビジネスマネージメントを2年間学びました。その際に山のような参考書やネット情報を読み漁ることになりましたが、、それは日本国内で勉強する際も全く同じことですよね。学ぶ時に限らず、母親になって学校や他の親御さんたちとのコミュニケーションだってとにかく「読む」機会が多くあります。それは話すこと以上に大切ではないかと思う程です。(我が家は娘と息子がそれぞれ違う私立校に通っています。毎日雪崩のようなレターやメッセージなど学校関連、習い事関連、速読の技と理解力がないととてもじゃないけど追いつけないほどです!)
そして「読む力」というのは、
「書く力」に繋がります。
カレッジやユニバーシティに行けば当たり前にアサイメントを提出したり試験を受けますから、文章を書いて書いて書きまくるわけです。やはり読んでないと書けないんですよね。。それは私が母親として経験した、子供たちの7歳受験の準備でも同じことを感じました。こっちで生まれ育った子供でも、何もしなくても英語で文章が書けるわけではなく、それは日本語でも同じことです。素晴らしい読書家であればあるほどより良い表現を知っていますからね。
より生活に密着した一般的な事柄に着目すると、、コロナのような情報をすぐに取り入れたい時、より深く学習をしたい時(海外の古典や歴史や宗教や文化など)は、日本語での情報では限界を感じてしまいます。
例えば私はヒンドゥー教を学んでいた際に、英語の本しか見つからない、という場面がありました。古い文献などは日本語訳では出ていなかったりします。最新の海外のコロナ情報はやはり英語で検索して調べるに限ります。日本国内で出回る情報はどこでどのように処理分別をされているかわかりません。有利に働かない情報は削除されてしまい日本国内には流されないことも多くあります。そういう場合は時に海外のニュースが頼りになることだってあります。
日本も確かにどんどん国際的になりつつあるのですが、英語を話すということばかりではなく、本が読めるなどの「読む力」も特に海外に出るわけではない場合は、よりフォーカスするに値するスキルかもしれません。
0コメント