正解が知りたいなら、
「日本には導きが欲しい人が増えている」
しかもそれが「まんま正解が知りたい」みたいなことで。
聞いて驚きました。
しかもその求められている正解(正解ではないけど不正解でもない)を導く人もいたりして。
それでは公教育からいつまでも逃げられないままじゃないかなと感じる。
「正しい答えが最初から用意されている問題を解くことが、人生を楽しむことだと心から信じていますか?」
と聞きたい。
答えを聞けば聞くほどに、
その答えもしくじゃ答えをくれる誰か無しでは生きていけないでしょう。
それは自分ではない誰かになろうとしているに過ぎないでしょうし、
どこでどうして自分の良さに気づくことが出来ようか?
と思ってしまう。
もしこんなふうに出来たら?
もっと〜になれたら?
からの思考から、
本来の自分にあるセンスや得意なものから、
そこで自分ができることを模索するような、
届かないと悲しく思うより、
今ある自分の持ってるもので出来ることを見る。
世間一般的な正解(安定した理想の生活という幻)を手にして、みんながみんな幸せを感じられるわけではない、ということには目を向けているだろうか?
親がいくらレールに乗せたとて、
遅かれ早かれ自分のレールに戻るからね(笑)
それが「自分を生きる」ってことだと思う。
親は、そんな我が子を見てただ落胆すればいいんじゃないかな?苦笑
幻はマボロシ〜
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