過敏な日本人と正義

「日本人は総じて過敏症」


故に海外ではやっていけない人が多い。
敏感すぎるとやはり海外ではやっていけないのが現実だったりする。

日本の文化は「他人を重んじる」
それはきっと美しい思いやりの文化なのだけど、行きすぎてルール化してしまい、本来目的であっただろう「相手への愛情」を忘れて、ただただ「ルールに従うかどうか?」だけで人間の価値が決まってしまうような、上っ面な文化になってきた。

日本人が思い出さなきゃいけない「日本の心」
それは、そんなに脆いものでも薄っぺらいものでもないはずだ。

精神を鍛え、体を鍛え、
自分に真っ直ぐで他人にも素直な気持ちで向き合うのが、本来の日本人の生き方であったはず。

それはまるで僧侶や仙人のよう。

物事に動ぜず、本来一番大事な心にこそ従い、最初から最後までを「優しさ」で貫く。

相手を責めたり、お手軽にコメントを書き込めそうな著名人のSNSで炎上などを起こして、自分の正義を振りかざすことで、そんなフワフワしたキャラの定まらない日本文化にイライラして自己嫌悪に陥っている。

正義は他者に向けられるものではない。

正義とは自分の中で感じること。


正義とは己の清らかさだと思う。


それはオンライン上だけに限らない。
家庭の中でも同じこと。

一見すると権力を持っているように見える親が子に対し征服させる空気感がまかり通っていてはおかしい。早く生まれた、産んだ育てた、だけで偉そうにできる理由にならない。何故ならあなたがそれを選んだから。あなたがそうしたくて子を産んだ。

だから全てのことに寛大になれと言う、ゼロヒャクの話でもない。親だってされて嫌なこともあるから、そう思った時にそう伝えればいい。我慢して耐えるのではなく、自分はこれが好きじゃないと伝えればいい。叫ぶ必要もない。感情を乗せてこんなにしんどいとお涙を誘う必要も一切なく、私はこれが好きじゃない人だ、と教えてあげるだけでいい。

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