不幸になりたいときも自分で選ぶ
1週間のホリデーから帰りました。
今回はBristolという街に夫の甥っ子も連れて3泊ほど滞在し、そこからさらに西へ向い、最西端のLand’s Endまで行きました。
天気がとても悪いはずだったのに、娘がいると必ず晴天にしてくれますからねぇ。(ちなみに私と夫はエジプトに雨を降らすほどの雨男女)
今回の一枚はそんなホリデーから帰る途中の空と牛さんのショットです。
「どっちでもいい」
これは私の普段のスタンスです。
こだわりがありそうに見えて、案外そうでもなく、結果はどっちでもいいし、流れるままでいいなと思っています。
もちろん自分でできることは無茶苦茶努力をすることも大好きなので、とことん、これでもかというほどにやります。それは自分が納得がいかないと面白みを感じられないので、自分の中で納得いがいくかどうか(楽しめるほどに入り込めているかどうか)が基準となります。
ただ、努力はすれど後は流るるままでいいなぁと思っています。
その理由として、
人生、100%自分の思い通りになるわけがないと鼻っからいい意味で諦めているから。
自分のできない範囲のことをとやかく憂いたところで時間の無駄で、私の中ではとても不合理です。それなら自分がコントロールできる範囲により集中する方がいい。
それは適材適所とか仕事の分担のようなもので、子供が家計を悩んだところで意味がないのと同じことで、子供は毎日楽しく遊んで学ぶことをやればいいわけですからね。
執着があまりないのは小さい頃からそうでした。
例えば子供の時に持っているお小遣いの使い道がなかったので、姉にあげるよ、と言っていました。自分は欲しいものがなかったので、欲しいものがある人にお金をあげた方が有効的だろうと思っていたからです。
子育ても同じで、
私が母親として出来る範囲は自分が納得がいくことをちゃんとやります。怠けすぎると自己嫌悪になるので、自分の納得のいくラインまでは動きます。(ですがラインを超え過ぎるとまたキャパオーバーでイライラするので、そのラインの手前でピタッと止めます)
その後どう子供たちが人生の選択肢を取ることに関しては、興味がないわけではないですが、なるほどなぁという範囲です。こういう選択肢があるよ、などのアドバイスはすると思いますが、自分で選ばないことには、自分の人生を愛せないので、親といえど本人でない誰かがあれこれとコントロールするようなことは、「幸せになってくれるな」と言っているようなものです。
(親の不安からくるコントロール欲は、親の課題であって子供には関係がないことですから、自己処理をするほか無いでしょう)
生活や人間関係も同じく、
どっちに転んでも私はどちらも楽しめる自信がある。
自分でコントロールができない範囲の環境がわかったことで、右往左往させられることは、頑なに断ります(笑)
環境が私を変えることはできない、と信じています。
変えられてたまるか、と思っています^ ^
不幸になりたい時は自分で不幸になることを選ぶし、幸せになりたい時も自分でそう選ぶ。
周りに決める権利はないですからね。
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