人との向き合い方
写真: ミントの葉に花が咲いた!あなたはこんな繊細な花を咲かせることができるのね!まさか花が咲くと思ってないプラントの花を見た時、その人の知らなかった一面が垣間見れた気がして嬉しさと驚きに包まれる。
今日は「人との向き合い方」を考えて言語化してみる。
私は普段から人話す時は瞬時に「計算」をするタイプ。相手によって自分のスタンスを変えるのは当たり前。
相手が生徒なら聞いて欲しい人だから圧倒的に基本の傾聴型。時々私の要素を突っ込んでその子の言いたいことを引き出そうとする。子供の場合はとても純粋なので、痒いところに手が届いたと感じたらどんどん出てくる。そして彼らの顔が満たされたと物語る。
言葉以外のコミュニケーションもある。
その子が得意なものだったり好きな分野の話だと例に挙げやすい。その子の好きの範囲に私も入っていく。楽しいね、ここ!って言って一緒に遊んでるうちに友達になる。純真で真っ直ぐだから子供は可愛い。
相手が大人の場合は少し違う。
知らない人の場合、5分でもその人の話を聞けば自分と話が噛み合うかどうかは何となく分かる。話している内容よりも、話し方のトーンとそこにかかる感情の圧で、話したい人なのか、相手のことも聞きたい人なのか、がハッキリ分かれる。
話したい人(話したいモード)の人は、聞いて欲しい感のエネルギーが止めどない。内容がとても学術的であっても、心の落ち着き様は話し方に十分表れている。心で話していない人の声はどうも私に浸透しない。表面的に社会に向けて何かを証明したい人たちもいるし、そんな人の言葉をキャッチする人もいるから需要と供給が成り立てばそれでいいと思う。
教育関連の人でもそんな感じの人がいる。
何かを背負ってるのか、何かに傷ついてきたんだろうと察する。子供達と向き合う時はきっと違う顔があるのかもしれないけど、私が子供ならこの人には心は開きたいと思わないだろう。自分の言いたいことばかりに溢れてしまってる。
情報が欲しい時は聞くけれど、どんだけ聞いてもなんだかしっくりこないことも多い。あー、この日本的ニュアンスが流れてるときっと理解されない、と感じる。だから私もそれ以上シェアすることを止める。
友達が相手なら「話したいモード&聞きたいモード」の両方をオンにする。この人なら受け止めてくれるということが分かった人としか話をしないし会わない。そして相手の話も聞きたいからきっと色んな質問をしたくなる。逆に友達に対しては、一方的な傾聴をあえてしないようにする。「結局人はどんなに時間を共有しても自分が話せたかどうかで満足度が違う」だから私は信じられる人の前では自分を出すようにしている。そうすることでその人との時間にガッカリすることがなくなる。あなたを信じているよ、と、本音でいるってそういうこと。彼らに自分を解放した後に、彼らは変に私をジャッジしない。(頭がおかしいんじゃないか?!という非一般的な話もする。1実際おかしいかどうかは、受け取る側の印象だけの問題なので結局答えはない)
きっとそれは、彼らも十分変わった人たちだからだろう(笑)
ちょっとズレた純粋な人が好きー
発達障害や不登校の子たちが好き
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