カウンセリングをしてもらう立場に立つ経験
予々思っていることに、
「受け止めてもらう側とか、カウンセリングをしてもらう側に立つ経験をする」ということがある。
ただ、こんなワガママな性格なので誰でもいいというわけにもいかないので、出会いはそのうち来るだろうと、一応はプロの人を見かけた時はそんな視線では見ていたりもする。
それが今回お友達から催眠術を受けた話を聞いて、やってみたいなぁとワクワクしていた。
いざPre-カウンセリングみたいなものを電話でさせて頂き、予約も取ったものの、、、なんだかインチューイションが「?」を出す。
そして再度自分の心に問いかけつつ、他の人がコーチングしてもらっている様子を聞いてみたりする。そしてその後すぐにその人と話をさせてもらって、果たして私がこのカウンセラーに託したいと思っているのかを確かめることにした。
今のところでは、この方をあまりにも知らな過ぎることが引っかかる。もし特定のターゲット(悩みやゴール)が明確であれば、溢れる想いを受け止めて欲しいと思うのだけど、、それも、ない。
(そもそもが、このただ楽しみたいだけの人間には施術は不要なのか?という点も大いにあるけど、苦笑)
人を受け止める人として、
プロを相手に受け止めてもらい側を経験したいという気持ちはやはりある。もしかしたら悩みが出るまで待てばいいのかな?(本当にどうでもいい話になるからこそ深掘りたくなる性分。。)
最終決断を出す前に、実際に催眠術を受けた友達の話を聞く、ということをやってみようと思う。
こんな長い「私の夏休み」の間に、
色んな人の話を聞いたり、話したりして、
社会科見学を通して自分の英気を養いつつ、
また新たに子供たちに向き合っていく知恵やエネルギーになればなぁと思う。
好きか、好きじゃないか?
「俺か、俺以外か?」じゃないけど、
結局そこにしか辿り着かない。。。
自分の中の絶対が、
「話してくれる人は好きな人でなくてはいけない」
何故なら言葉が入ってこない。。。
致命的だよなぁ。。。。。
私と向き合ってくれる人はお金を出せばいくらでもいるのだけど、私には選ぶ権利があるので、そうすると、、、一旦考えるか。という決断に至る。
「好きな人しか信じない」
みたいなこだわりがあるのは、
普段向き合ってる不登校や発達障害の子供たちにも似ていて、
彼らの気持ちがよく分かりますわ。。
それは言い換えれば、私にしか出来ない役割があるってことなんでしょうね。。
とりあえずの着地点。
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