言語化できない感情

最近クラハで話しているとよく言われるワード、
「言語化が上手」

当たり前のように中学生から想いを書いたり、ブログは15年くらいずーーーーっと書いてると、感情を言葉にすることは当たり前過ぎて、それについて深く考えたこともなかった。。

感情を言語化できないことで関係に摩擦が生じたり、戻らない関係性を作ってしまうこともあるようで、、

「そこまで想いを言葉にできたら幸せじゃないですか?」って、、。




例えば私の活動としては、
対立する親子それぞれの話を個別で聞くこともあったりするけれど、、確かに想いを表現することがかなり重要になってくる。

もしかしたらこんな想いなのかな?と代弁すると、相手がスッキリしていることがよくあって、、

私が感じるところだと、
言語化の前に「自分の感情に気付いていない」場合が多々あるように見える。

意外と人って自分に興味がないのかなぁ?
(もしかしたら私が自分を好きすぎるんだろうかぁ。。。)

私の知る限りでは、
幼少期に理不尽な環境にあった人は、自分で幸せになろうとしないと地獄に落ちたような日々を送ることになる。

だから自分で確かな幸せみたいなものを探そうとするし、その裏も取るようになる。ほんとに信じられるものかどうかの裏付けをしないと、猜疑心は埋まらない。だからどこまでも追求して調べてみたりする癖も付く。何かを疑うことがゆくゆくは仕事になってる人も多いような気がする(幸か不幸かは分かりませんが、自分の持つ力を最大限に活かしているという点においては、きっと人生に満足がいくと感じます)

最近は「メモの力」とか書くこともマインドの安定として流行っているけれど、是非どんどんそんな想いを声にして人に伝えることをしていって欲しいし、そこから感情と表現のバランスを見れるようになれば、大体の場合想いは伝わる(伝わると言うのは、願いが叶うということじゃなく、あくまでも自分の想いを発して気持ちよくなれるということ)

日本人は本来、精神性の高い優しい心を持っているので、そんな想いがたくさんの言葉として溢れ出したら、絶対もっといい社会になるよぉ♡

これからですね^ ^

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