この人は僕を理解できない

定期的に、精神科の先生と臨床心理士さんのもとを訪れている14歳男子。ASDとADHDの診断がおりたのが9月。

少し前に精神科の先生に、
「セルフマネジメントは知っていますか?」と聞かれて、

「ネットの知人に聞いたことがある」と答えたら、

「じゃあその人に教えてもらってね」と言われたことに苛立っていたそうで。

その理由として、それを教えてくれるのが精神科医だろう!と思ったことと、じゃあなんでそう言い返さなかったのか?というと、

「俺と先生の意見は合わないから、説明がめんどくさい」というのが彼の意見。彼らの中で、この大人は自分を理解できない、と諦めている。

一方で臨床心理士さんのことは気に入っている様子。細やかな配慮をして下さる方なんでしょう。

決して精神科医が悪いということではなくて、確かに相性もあるけど、そもそも“話しやすい人”と、そうでない人が存在するのも確かだなぁと感じる。

私も彼のことは知っているのだけど、一方的なコミュニケーションをする大人をとことん嫌う。凝り固まった常識の押し付けが強かったりして、鼻っから彼を尊重しないとか、、。

そもそも彼は決して気難しい性格ではない。
至って優しく人を想う正義感の強いフレンドリーな男の子。誰も彼も嫌うタイプじゃない。

そして今に担任の先生も社会の常識を押し付ける様子があるそう。決して悪い先生ではないし、むしろ一生懸命なのに子供の心は浮かない。

正論が必ずしも人を幸せにはしないことは、もう誰だって分かっていることなんだけど、
時には正論を伝える人も必要なのか?

いや、常識や正論の前に、
それを聞いてみようかなと思える支援者と当事者間の関係性の質が上がるといいなぁと、、
シンプルにそう思う。

確かにこの世は皆が配慮ができるわけじゃないから、彼にとってもいい社会勉強ではあるのだけどね。そんな社会でも理解と思いやりがある人はいるんだってことも彼はちゃんと学んでいるからね。



私は大人だけど彼と同じように人を選んで自分を開示する。自分を見せたい人はたくさんはいない。彼らに共通して言えることは、「賢さ」があるということ、それは「優しさ」。いつも私という人間を理解したうえで受け止めてくれる。

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