“個性”は意識の外側に置き去りにされる

まずは、私と繋がりを求めて連絡を下さる方々にありがとうの気持ちを♡(●’◡’●)ノ私はいつでもその方々の為にあるという想いは疑う余地もありません。そんな人たちのおかげで私の人生が豊かになります。

👇あなたからの連絡を待っているぅ⤴︎

最近色んな人に話している「己を知る」ということについて、書く。

聞かせてもらう多くの悶々とした憂鬱の原因の殆どがここに来るんじゃないかと思う。それは、無意識にバイアスのかかった文化と自分の中にある文化との乖離に対する違和感。この二つが常に自分の中に混在している。

それが分かりやすく「悩み」となる場合と、ならない場合がある。その理由として、個性溢れる人たちの場合、思考や感覚もやはり根っから独特なので、その二つの価値観は大きく離れているケースが多い。

普通はこうじゃないのか?
世間一般ではこうなはずなのに自分はそうじゃない。みたいな負のループから抜け出せないままに心だけが疲弊して、どんどん自分が分からなくなる。

中には「無意識に個性的な人」もおられる。そんな自分だったのか、それが個性というものなのか、そんなことは学校では教えてくれないどころか、画一的に塗り固められる文化が、特に日本には強くある。

「自分はおかしいかも?」と捉える時点で大きなバイアスがかかっていることをまず疑う方がいいかもしれない。ただ、自分の思考だけで「自分はおかしくない、これは個性なんだ」と思うことは時に難しいので、そんな時にこそ自分を理解してくれる誰かと対話をしてみることは有効。(そんな人たちの為に私も存在しているよ)

それは大事な認知の再構築であって、誤解を解くことでもある。

ボディビルダーは、自分が食べたものが自分の血となり肉となっていることを意識して食事を摂るが、一般的にはそこまで深くは考えずに思うままに物を口にしている場合も少なくない。そのプロセスが目に見えない限り、「食べる行為」と「食べたものが肌や内臓を作る」を直結させにくい。

「文化や常識」も同じことで、無意識に自分の思考や精神を形作っている。「食べる」ことが能動的ならば、「聞く」ことはより受動的な側面もあるので、“避けようがない文化の受容”が、実は日々起こっていたりする。

何を口にするかを気遣うように、誰と話すか、何を聞くか、誰と時間を共にするか、そういったことにも丁寧に向き合うと、自然と自分に取り入れたい思考や文化を振り分けることができる。

(往々にして人は、生き抜く為に危機管理能力を兼ね備えているからこそ、よりネガティブな側面を持ったものに引っ張られがち。それに対してしっかりNO!と判断できる意識も大事かもしれない。不安要素を煽る洗脳やビジネスも数多く存在する。教育もそのうちの一つ)


そのうち、つづく。

A5 EIGO LESSON

楽しければもっと学びたくなる

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